形無いもの

 作業が慌ただしくブログに向かう事を忘れてました。
今夜は、ようやく一区切り。
生地を整理して、お掃除をしてワインを飲んでみる。

週末に祖母の13回忌で山梨に戻りました。
自然って本当に壮大で、言葉を発しないのに投げかけてきて、
いつも逞しく、そして、だから美しいって思う。
だから、自分の小ささを恥ずかしくなってしまうんだよね。
でも、13回忌で祖母を思って感じたことがあります。
私たち人間は本当に凄い凄いちっぽけだと思うけど
(超ミクロな分罪で超複雑・・)
でも、私たちって本当、生きものだから。
生きる心を持ってるから。
だから、残すことが出来るんだなぁ~って。
当たり前のことを実感したの。
「残す何か」
きっと、それは形在るモノだけじゃないんだと思うの。
形無いモノだって残すことが出来るんだよね。
これって、案外凄いことじゃない?
そう、それに、
本当は本当は形ある物を残したい訳じゃない。
形無い物を残すことに、いつもいつも憧れているんだよ。
そして、それが繋がっていくことを心から願ってる。
だからね、私たちは自然の様に、決して壮大ではないかも知れないけれども
きっと、超ミクロなんだろうけれども
それでも、何かを残せる確かな存在なんだって思うの。
きっと、生きる心と一緒にね。
「確かな存在」であること。
多分自然も、そして人間もそうでなければいけないんだよねって思ったの。

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