尖閣諸島

 本日ビデオが流出しましたね。
ラジオから流れたそのニュースを聞き、
一目散でテレビを付けました。
どうやら、内部告発というお話をしている真っ最中でした。
まさに、一般ピープルな私にとっても、これは衝撃的なニュースでした。
国家機密がこうも簡単にに流出する事は大問題だと偉い人達は口々に言っていました。
きっと、その立場であればそうなのでしょう。
いえ、そうでなくてはイケないのです。
ただ、私のような、ペーペー野郎のイカレピンチにとっては
「よくやった」
素直にそう思いました。
型にハマった、政治もマスコミも、それに動かされる世論も
いい加減うんざりです。
民主主義において、多数派が世論となり、正しい事は百も承知。
しかし、少数派が生き残れない様な社会は、
本当の意味での民主主義とは言えません。
ここ数年のマスメディアを見ていれば
どうにもこうにも一画性過ぎると、私は感じてしまうのですよ。
世論から生まれる社会を形成するにあたって
マスメディアによる情報は、重要な要素です。
私は、そこにも人間を形成する幅広い視野が必要なのだと思っています。
これは、教育という物に近い気がします。
人を成長させるノウハウの一つと言う意味での。
だからこそ、一画性のマスメディアに危機感を覚えます。
このままでは、少数派が弱者となってしまうのではないか。。。
勝者と敗者がいるのは資本主義の世界では当たり前の事。
これも時代を発展させ、人間力を高める為には必要な事です。
ただ、私は、このような社会だと少数派が敗者になるのではないかと思ってしまうのです。
歴史の紐を解けば、少数派が起こした革命は少なくない気がします。
ですから、少数派がちゃんとに戦える社会であって欲しいのです。
長くなりましたが、、、
もしも、今回の事件が内部告発であったとして、
それが法の下、政治の下に厳しく罰せられたとしても
私にとっては、そんな勇気ある行動にでる人がいる社会に希望を持ちます。
ですから、本日のこの出来事は小さな私の世界の革命的事件でした。
少数派である人間が強さを持つ事は容易ではありません。
それには、学校教育、家庭教育、社会教育、またマスメディアによる本物のジャーナリズム。
型に嵌った事ばかり、一つの思想のみを押し付けるのではなく。。。
一画性を持った情報は自ずと「正解」と「間違い」を生む。
本当の民主主義にはそんな物は無いのに。。
勿論、制限もルールも法律も道徳と秩序を保つ為に必要です。
けれども、このままの型にハマった政治、また一画性になりつつあるジャーナリズムは
もっともっと大きな罪を生む事になる。
個々の自由の権限を幅広く認める社会国家を
一人一人が作っていかなくてはいけないと思います。
先々の世代に向けて。
今日はそんな事を感じました。
そして、今後の尖閣問題・及び外交に目が離せない摩耶でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です