私の舌には2つピアスがあいています。
10年も前からです。
これを外す事は容易ではなく、
何度か試みましたが、外れません。
半ば一生ものだと思っているものです。
そんな、すでに体の一部と化しているピアスを、もしかしたら外す事になるかも知れません。
って事を考えたら少しだけ寂しくて泣いてしまいました。
1つ目のピアスは18歳のお誕生日に彼からから頂いたプレゼントです。
2つ目は大切な命を失った時の物です。
実は2つとも当時の彼とお揃いなのです。
18歳のお誕生日に「何が欲しい?」と聞かれて
「絆」と答えました。
私の欲しいものはいつも売っていない物なんですよね。
だから、傍にいるパートナーは、きっと大変でしょう。。
弱い私は、何か残る特別な物がないと不安で仕方がなかったのでしょう。
「絆」とか「誓い」とか「永遠」とか。
それを「形ある物」として欲しかった。
大人になった私は、その言葉の重みをようやく理解して、、
今となっては到底口にする事なんてできません。
けれども、きっと求めている物は、あの頃と大して変わりません。
だから、舌のピアスは、私にとって大切な思い出の一部なんですよ。
「非行」とか言う類の「マイナス」なイメージを与えてしまう物であるかも知れないけど。。。
若かった私たちの精一杯の「愛の証」だったんです。
社会の一員として生きるという事はこういう事なのか・・と思います。
自分の物差しではなく、社会の物差しを基準に生きる事。
その為に、大切だと思った物でもドンドン捨てていく。。
「舌のピアス」はそこまで重要でないという事もわかります。
だって、そのピアスが消えたとしても、決して彼との思い出が消えるわけではないのだから。
彼との時間は、確実に今の私の中で生きているのだから。。
「形」として持っていなくても、今は信じる事が出来ます。
ただ、少しだけ寂しくて。。。
それから、こうやって「捨てていく事」が少しだけ怖くて。。。。。
それでも、本当に大切な物は持ち続ける事ができますか?
やっぱり私は、まだまだ子供なんですよね。
そんな事を1日中考えていました。