展示会打ち合わせ~EXPOめぐり

 金曜日AM。展示会のミーティング。
poétiqueconcoctionのI.M氏


親友で戦友で良きライバルの彼女。
本日も朝からかなりCUTEなワンピと信じがたい程可愛いネックレス。
気がつけば7,8年のお付き合い。
扇子持つ姿が本当に素敵。う~ん。目の保養★
午後は一人、再びEXPOめぐり
http://www.2121designsight.jp/bones/
http://www.nact.jp/exhibition_special/2009/03/hikari.html
六本木ミッドタウンと国立新美術館へ
考える事は数知れず。
まず、「生命体」とは何か?
物体を作るものとして、その「製造物」を「生命体」へと変えたいと願うクリエーターは少なくないだろう。
ではその「生命体」とはどのような定義にもとづくものなのか?
精神的に。そして理論的に。
第二に「構造~解体」に関して。
多くのクリエーターは「構造」し「解体」し再び「再構築」する行為を繰り返す。
しかし、「構造」し「解体」した瞬間に「再構築」するまでもなく、「新たな構造」というものは生まれているものだ。
では、「解体」が存在する瞬間とはどこなのか?
そして、「解体(破壊)」は各クリエーターに対して何を意味するのだろうか?
その答えは多分「生命」という物に通づる気がしてならない。
そして、この行為の中でクリエーター(芸術家)は一体何を第三者に伝え、与えようとしているのか?
それは分からないことだが、1つ思うことは「時間」なのではないだろうか。
定義に定義を与え、その隙間を行きかう「時間」を与えている気がしてならない。
そして、現代美術とは、その空間の中に存在している物の様に思う。
だから、何かを投げかけてくるその「時間」は現代アートの特徴の様に思う。
しかし、この時間を与えられる作品というのは、そんなに多くはない。
自分の作品もこうでなくてならないと思う。
または、こうであてはいけない物なのか?
「ファッションとは芸術ではない。しかし、存在する為に芸術性を必要とする」
サンローランの引退の時のお言葉です。
しかし、デザインとは表面的な物だけでなく構造から始まり
また、その背景を反映するものでなくてはならないと思ってしまう。
とにもかくにもガンガン書くのです!
デザインは書き続ける事で生まれる。コシノジュンコ氏のお言葉です!



 

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